夏秋裕美の Miracle Earth Garden~Blog

南信州でオーガニックの庭づくりをしています。自然農のセオリーをベースに、花やハーブ・野菜・実のなる樹など、にぎやかボウボウの庭は9年目。自然界のリズムやバランス、命の共生などを観察中。地球はおもしろい!著書/ 『セイクリッドアロマカード』(オラクルカード)BABジャパン出版

台風一過の秋分の日、野花めぐりをしながら、心の声がつぶやいたこと

台風が過ぎました。

時折、突風が吹いていきますが、

青い空が見えてきました。

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ガーデンのハーブにうもれて、

犬のはなちゃんがクンクンしています。

雨上がりの香りを楽しんでいるのかな。

 

写真👆の後ろのほうに見える森に、

散歩にでかけることにしました。

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森の奥へと歩いていくと、

湿り気のある独特の空気感です。

ひと息ひと息が、

からだの隅々まで届きます。

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ここから先は、ちょっと長い私的なつぶやきです。

長文ですので、ご興味のない方は、写真だけ見てくださいね!秋の野草がきれいです。

 

秋分の日。季節の大きな節目は、天体の流れと共に心や体や意識が大きくシフトして行く時なのだと思います。外側に起きる出来事や、それと心とからだの動きがどんなふうにつながっているのかなぁと、辿ってみるには良い時期なのかもしれません。内側の世界を、いつもより深く観ることができるし、そこから、これまでの意識の枠組みを一気に飛び出す!そんなタイミングなのではと思うのです。

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というわけで。森を歩きながら、夏至から秋分までにあった印象深い出来事や、心のつぶやきを辿って行きました。

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このところ私は、日々の出来事や出会う人々や、いつもに増して、めまぐるしい動きや流れが出現していました。

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嬉しいこともへこんだこともいろいろ。それは良かった悪かったということでなくて、自分の思いこみや、固定してしまった世界観を広げてくれる、貴重な体験として…。

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エピソード1~風

【知らなかった世界】

夏の終わり頃から、小さなお子さんや、学生さんたちと出会う機会を幾度か頂きました。地元の農業高校で、「伊那谷の森の木々や草花の可能性を再発見し、蒸留して香りを抽出する」という授業のお手伝いをさせていただきました。また、隣町の中学校では「アロマやハーブの植物の香りが心を和らげストレスケアの助けになる」ことをご紹介させて頂く機会をいただきました。また、シュタイナー教育の幼稚園生と小学生と、そのお母さんと先生が、わが家の自然農ガーデンに来訪されました。未来に続く人たちは、なんて純粋な瞳なんでしょう!

実はわたし、子供がいないこともあり、「学校」という組織や、お子さんや若い方たちに、これまでほとんどご縁も無く、少し(いえ、けっこう)苦手意識さえある方面だったりするのです。なぜ、今ここにきて急に…⁉と、少しとまどいながらも、新しい風を感じる体験でした。

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エピソード2~土

【大地は誰のものなのか】

うちの庭の木が大きくなりすぎて、道にはみ出していて「土地の境界線について公私混同をしないように」とおしかりを受け、へこみ反省し、木に登って剪定しました。

それと前後して、美しいこの里山の棚田が埋め立てられ、商業施設になってしまうという話が飛び込んできて、思いのほか心がとても苦しくなって、自然をコントロールすること、人の手により美しさを保つこと(歴史や尽力への感謝、その基準や向かう方向…)、何を美しいと感じるかはそれぞれであること、などについて、考え込んでしまいました。

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エピソードその3~火

【草刈りを考える】

夏から秋にかけて、刈っても刈っても元気に生えてくる気が遠くなるような草刈りについてあれこれと思いをめぐらせていました。

私はできるだけ、草を見分けながら草の上のほうを払うように手刈りをします。これは『風の剪定』と言い、350円の鎌一本で女性にも安全に、力が無くても楽にできます。私の自己流ではなく、ヤンバルの森の再生で知られている造園家で地質学者でいらっしゃる、「大地の再生講座」の矢野さん直伝の方法です。地上部と土の下は相似形であることから、この刈り方を続けていくと、ふんわりとしたきれいな緑の土手になります。そこには、小さな野草の花が咲き、虫たちの居場所も確保され、土の中も良い状態になってきます。多様な生き物や草花が共存しますので、強い草だけになってしまったり、虫がいたとしても大量発生したりせず、長い目で見ると楽に管理ができるようになり、美しく、無理なくバランスしていくというものです。

この手法を9年やっている中で、その結果が目に見えはじめ、実感が次第に深まっていますが、まだまだ課題もあります。私としては「結構いい感じになってきたなあ」と思っても、他の方から見たら草刈りをしていないように見えるらしい事や、手刈りできる面積はある程度までであること(大きな規模では草刈り機にロープの刃をセットする方法もあります)。また、ちょっとした継続的なマメさが必要であることなどです。時としてめんどうくさくなることもあり、炎天下の真夏などはなおさらです。

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場所や状況により、草刈り機を使うこともあります。その際、燃料が必要であることや、重たく振動がつらいこと、機械で強く刈ると小さな野草が次第に姿を消し、草が単一化して勢いが年々強くなること等を感じています。また、除草剤という方法では(私は使いませんが)、化学物質過敏症ぎみなので、目や鼻やのどの違和感と、頭も痛くなりやすいし、窓が開けられないし、この頃は新聞等でも様々な見解が語られ、世界中で再検証されはじめているし、犬の散歩のときに細心の注意が必要だし、などなどなど…。と、心の奥に潜んでいたメラメラと燃えるような葛藤が表面化していました。

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エピソード4~水

【見ないふりをしていたこと】

【ご縁とタイミング】

築45年のわが家の、老朽化して所々穴のあいた雨樋から、台風のたびに滝のよう雨が落ちてきている状態なのに、何年も修理に踏み切れず、雨のたびに憂鬱になっていました。見ないふりをしていました。ところが、ふとした思いつきから、あれよあれよとご縁がつながり、見ないふりをした最大の理由でもあった費用の工面や、庭木の整理など、思いもよらぬ展開と助けが次々とあちこちからもたらされて、あっという間に修理が完了してしまいました。

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雨樋が新しくなり、家の周りの水の流れが良くなることで、全体の流れも変わりそう♡助けて下さった皆様ほんとうにありがとう!

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新しくなった雨樋と、昔ながらのトタンの細工

これらの一連の出来事は、一見何の関係もないようでいて『ズバリ繋がっている⁉』そんな気がしてならないのです。

 

私の中にある、得体の知れない葛藤や、とてつもない苦手意識や、傲慢さや、自分には関係のないと決めて、知ろうともしなかった周囲の世界や、ひたすら見ないようにしまい込んできた感情や……。こんがらがって、屈折して、あるいは眠ったままになっていた、わたしの中に存在するエッセンスたちが、もう、今やそのままにはしておけない時ですよ~!とばかりに、目の前の出来事として現れているのでは⁉

そして、これらは実は、わたしのハートの奥のほうに確かに存在する『大切なそれ』へとつながる糸口なのでは⁉ (で、いったい「それ」って何~~?)

 

そんなことを想いながら、泣き笑いしながら、森の野草散歩から戻ってきました。

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種をまいておいたルッコラ

雨で急に大きくなっている!

 

なんか、色々考えすぎたけど。

なんか、大丈夫だー。

と、シンプルに思えた瞬間でした。

💛💜🧡

 

あぁぁ、それにしても本日はつぶやきが長くなってしまいました…。すっかり秋分の夜も更けて、鈴虫がリンリンリンリンと鳴いて、空には満天の星です。最後までおつきあいいただき、ほんとうにありがとうございました!