桜と雪の風景
障子の向こう側の
光の気配がいつもと少し違う朝。
そぉっと障子を引くと、
「あ…やっぱり。」
季節外れの雪景色でした。
20センチは積もっている…。
今日はお友達と、
ちょっと遠出する予定でしたが、
あきらめてお家でまったり。
大きく伸びあがったわが家の桜の枝は、
満開を迎える日に、
湿った雪の重みで、
たくさん折れてしまいました。
どこにもやり場のないような、
悲しみに襲われて、
心が苦しくて痛くて、
落ち込んでしまいました。
でも、
雪の中から顔をのぞかせているお花は、
残念無念とか、悲しいとか、
そんな気配は全く無くて、
ただただ美しく咲いている。
可憐な花の姿を見つめた瞬間に、
『一瞬たりとも同じ所に留まることなく、移りかわり続けることの、美しさ軽やかさ尊さ』のような感覚と共に、心の内側での変化が起きました。
あまりにも悲しかったり、
痛かったりしたときの、
感情との付き合い方を、
この頃少し意識して過ごしていたのだけれど。
というのは、
衝撃の大きい出来事に出会ったとき、
わたしは無意識のうちに、
(みごとに一瞬にして!)
何か別のものと巧みにすり替えたり、
覆い隠して「無かったこと」にする。
そんなパターンがあることに、
気がついて…。
それは言い訳や強がりや、
理屈だったり、無関心だったり、
天使が助けてくれるから、
というような現実逃避だったり、
色々なんだけれど。
とにかく
『一瞬のフェイクの癖に意識的でいること』と、
『湧き上がる感情の中にただズボッと入ってみる』
きっと、そうすることからしか行きつけない境地があるんじゃないかなぁと。そこからしか、本当のほんとうの『わたし』には出会えないんじゃないかなぁと。それをしっかりと感じきることこそが、閃きや知恵や勇気や人としての奥ゆきへと変容していくんじゃないのかなぁと。まぁ、書いてみるとなんだかおおげさなような、どこかで聞いたことがあるような感じもするんですけれど…。ようやくこのごろ、それを実践練習していたところなんです。
このような事は、頑張って取り組んだところで、またこじれたりもしやすいんだろうと思うけれど。
きっと今朝は、
『感じきる!』ということが、
自然と起きたみたいです。
きっと桜と雪が助けてくれたのでしょう。
たった一日前の桜の様子です。
(大雪の前日、4月9日の風景)
大きな大きなスケールの、
自然界(=宇宙)のウェーブを、
ひしひしと体感させてくれるこの土地は。
厳しさ(人間的にはね…)のぶんだけ、
弾けるときの迫力が凄いです。
躍動感に満ち溢れて、
桜たちは天に向かって手を広げ、
躍っているみたいです!
最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました!